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「2」の第四話と第五話を視聴して思ったこと、その他について。

【おことわり】
以下は記載日時点で個人的に感じたことであり、実際の話の展開と異なったり、制作サイドの考え方と相違がある可能性があります。

第四話は、元の姿では丸まることのできない「オオアルマジロ」が、ヒトの身体的特徴を得て丸まれるようになったのだと考えたい。
(それでも、EDの「サーバル」と「カラカル」の寝姿は違和感を覚えるが。)

第五話で、ヒトがけもの(他の生き物)を操るという概念が示された。遊具で遊ぶ大小熊猫や、ごほうびをねだるイルカアシカのように、登場するキャラクタが動物園・水族館飼育個体みたいな言動をしているのは、その暗示?ヒョウの姉妹がカラカルに敵わないのは、フレンズ状態で含まれる野生分の大小に関係あるのか?
それに関連して、最後に出てきた「けだもの(仮)」が紙飛行機を追う際に四足で駆けていったような描写があるので、やはり野生分の大小がパワーの大小に現れているように見える。

動物園は、ヒトが(ヒト以外の)動物を飼育・展示する場所。動物はヒトが決めた時間割りで運動場に出たり、ヒトが準備(拒否はできるが、基本的には動物側に選択権はない)した食事を与えられたりする。かつてより範囲は狭められたが、ヒトが動物に「ショー」で芸をさせることもある。
実際は、ヒトが動物の習性に合わせて世話をしてあげ、必要に応じて寒暖の調節もしてあげる。ショーも、強いるのではなく自ら楽しんでやる、遊びの延長でやる(実際は、ごほうびとセットだが)場合が多い。
舞台となる「ジャパリパーク」を動物園と見立てた場合、動物側から見れば前者のような解釈になると思うので、結果として「ヒトが動物を操る」という噂が残ったのかもしれない。

ヒトということで、もう一つ。バッテリー切れという概念を知っていたヒト代表と、かつては「充電?」から始まった(元?)ヒトのフレンズの対比。後者は船出からここまでのことを知る唯一の存在だと思うので、次回以降に何が提示されるのか注意深く見守りたいと思います。

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たんていコンビがヒトを探していたのも、「ヒトが動物を操ることができる」という言い伝えを信じている者の依頼だと思うが、「けだもの(仮)」のコントロールが目的なのかどうかは不明。ただし、「ヒトが来るまで待てる」とのことなので、平和利用が目的なのではない可能性は考えられる。

最後に一瞬だけ登場したヒト?(EDで隠す気もなく「かばん」の文字があったので、多分同一人物だと思うが)と「サーバル」の対比。「かばん(人名)」が「かばんさん」になっているのに対して、「サーバル」が相変わらず「サーバルちゃん」なのは、ヒトと動物の成長の違いを表しているように見えるので、興味深いところ。