2-11

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「2」の第十話、第十一話を観て感じたことなど。

【おことわり】
この記事は記載日時点における、本ウェブログ管理者が感じたことを記しているので、他の方の意見や制作サイドの意図などと異なる場合があります。

今回は、「フウチョウ」コンビの発言を中心にいろいろと考えてみました。

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  • 大事なスケッチブック→ヒトの思い入れが強く現れるもの(自分の意思で描くものだから)
  • なぜ「おうち」に帰りたいのか?→そこにホームタウンがあるから
  • 「おうち」に帰ってどうなるのか?→まずは帰るのが目的なので、わからん。でも、帰ったところで何も起こらないと思う
  • そこには何があるのか?→(おうちに帰りたいと思う生きものが)大切に思う何かがある場所
  • そういうものはあったが、消されたのかも?→生息地があったが消えてしまった。または、侵略者により祖国を追われたということか?
  • 後ろに道がなければ、前に……→野生絶滅種の、野生への再導入などが該当する?
  • 「リョコウバト」のぬいぐるみがない→(20世紀はじめに絶滅しているので)ヒトの記憶から「リョコウバト」が消えているのだろうか?
  • 「フレンズ」の姿を模した「セルリアン」→ヒトの欲望の象徴?
  • 海底から湧き出す「セルリウム」という物体→ヒトの欲望が湧き出している?
  • 光をも吸い込む本物の黒色→#1E1F2B?
  • スケッチブックを使用した理由→出会ったものが好きと感じていたから(ネガな言い方をすれば、「好き」というヒトの思い込み)
  • あいつ(おそらく「ビースト」と呼ばれている存在)と分かり合えたい→ヒトの欲望?
  • ヒトの活動で助かった生きものがいる→保護された生きものたち
  • ヒトの活動で迷惑を被る生きもの→人為的活動で絶滅の危機、または絶滅した生きものたち
  • 新たな危機→「パークの危機なのだ!」

ヒトは地球上の生物に対し、「あの生きものがほしい!」といって乱獲し生息数を減らすことも、「保護したい!」と思い保護活動に全力で取り組むこともある。もともと、ヒトとその他の生きものの間に関わりがなければ一定のバランスが保てたのかもしれないが、両者の生息域が重なった結果、現在のような状況が発生している。また、ヒトは民族的、宗教的な差異などを理由にして、自ら他のヒトを滅ぼそうとすることもある存在。

ヒトの強い思い入れに呼応した形状となる「セルリアン」。おそらく、それはヒトの欲望の可視化。それらが「フレンズ」たちに襲い掛かるのは、生きものの生息数を減らすヒトの活動に重ねているようにも見える。
一方で、「フレンズ」たちが「セルリウム」製の「セルリアン」を倒す(前のアニメーション作品で登場した「セルリアン」とは材料が異なるので、形状のコピー能力もあるし、ハンターでなくても倒せるのかもしれない)という描写は、野生の生きものたちが自ら生き残ろうとするたくましさを表しているようにも見える。

ということで、ここでは「ヒト対ヒト」や「ヒト対(他の)生きもの」の関係性を間接的に表現しているのかもしれない、と考えます。

ヒトと他の生きものとの関係性、ということで別の考察。

  • リョコウバト:乱獲や生息域の縮小により絶滅(IUCN:EX)。
  • タヌキ(特に日本のタヌキ):IUCN的にはLC(環境省レッドリストには未掲載)だが、ヒトの生息域への流入により害獣扱いされることも。
  • ニシツノメドリ:気候変動によるエサの減少という影響を受けている(IUCN:VU)
  • トキ(特に日本のトキ):ヒトの手による大陸からの個体移動と繁殖活動で個体数が増加している(環境省:CR(2019年1月に、EWから変更))
  • ヒョウ:ヒトによる狩猟で個体数が減少している(IUCN:VU)。
  • オオセンザンコウ:ヒトによる乱獲で個体数が減少している(IUCN:VU)。
  • カリフォルニアアシカ:IUCN的にはLCだが、飼育下で曲芸の披露や軍事的利用もされてきた。

というように、これまでに登場した「フレンズ」たちを見てみると、「原作」とされる生きものたちは少なからずヒトの活動による影響を受けていることがわかります。これら登場キャラクタの選択も、このアニメーション作品が主張しようとしていることに関係するのでしょうか?

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残り話数がひとつになったので、一部で話題になっている「伏線の回収」という話。

各地の発言を見ると、「伏線を回収しないのは悪」という考え方が強いように見えますが、一方で「この話はこういうことでした。おしまい。」といって答え合わせをしてしまうと、そこで話は終わってしまいます。
そういう意味では、全てを回収するのではなく、ある程度のものはそのまま残しておいて、視聴者が各自で考察する余地を残したほうが、より深い議論につながることもあるし、また二次創作でさらなる世界を繰り広げる余地も生まれるので、決して悪いことではないと思います(本記事投稿時点において、このメディアミックスプロジェクトに関する自作の二次創作は許容するというガイドラインが公式から出されています)。