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表現手法や舞台背景の見せ方などに起因すると思われますが、「2」の第十二話初見で、エンディングテーマが終わってすぐの短い時間内に評価をつける場合、五段階評価中最下位の評価をつけてしまう理由がわからないわけでもないのが正直なところ。本ウェブログ管理者も、初見では「えっ、そこで終わってしまうの?それでいいの?」と思いました。
しかし、一方で明確な結論を突きつけなかったことにより、視聴者が自由に考察する余地が広く残されることとなりました。そこで、「2」の第十二話までを観て考察した結果や、思ったこと・感じたことを記してみます。

【リョコウバト】
これまでに登場したキャラクタの中で唯一の「原作:絶滅」。かつては「仲間しか見えない」ほどいたという「遠い日の記憶」から、「今の自分には仲間がいない」と思い込んでいました。確かに、「リョコウバト」としての仲間はいません(他の「フレンズ」も、同時期に1個体のみ存在するという原則がありますが)。しかし、第十二話終了時点では「フレンズ」としての仲間を得ることができました。
その状況は「キュルル」も同じ。最初は自分ひとりだけの存在だったのが、最終的に「サーバル」と「カラカル」を含めた名トリオの関係になっていました。

【ビースト(アムールトラ?)】
多くの視聴者が「ビーストはがれきに埋もれてしまった」と認識した、あのシーン。本当に「ビースト」は救われなかったのでしょうか?この件について、ストーリー上で明確にされていないことを利用して、成り立ちを含めて二次創作的に「なんとか救われる」シナリオを考えてみます。

  • 誕生:生きものなどに「サンドスター」が当たる際、既に蔓延し始めていた「セルリウム」の影響を同時に受けてしまうと、「フレンズ」ではなく「ビースト」と呼ばれる状態になってしまう。
  • 性格:完全に「フレンズ」になりきれない状態なので、「原作」の荒々しい部分を引きずっている。走るときに四足歩行しているのも、その影響の一つだと思われる。
  • 攻撃:誰にでも威嚇しているような描写も見られたが、実際に手を出した相手は「セルリアン」だけ。理由としては、「セルリアン」から「セルリウム」を摂取するためか、または「セルリウム」を絶って完全な「フレンズ」になりたいためにもがいているのではないかと考える。
  • 対「フレンズ」:見える部分が上記のような感じなので、恐れる存在としての認識。
  • 対ヒト(「かばん」を含む):見える部分が上記のような感じなので、恐れる存在としての認識。
  • 対「キュルル」:最初は恐れる存在だと思っていたが、「なんとか気持ちを分かりあえたい」という気持ちが強くなり、最後は「セルリアン退治」を任せようという発想につながった。そういう点で、「キュルル」は「ビースト」を信じていたのかもしれない。
  • 「セルリアン」退治後:新たな「セルリウム」の供給が絶たれたからかどうかは不明だが、邪気はほとんど抜けて「フレンズ」への一歩手前まで来たのだろう。
    (例のシーンになる直前、初めて背筋を伸ばして立った瞬間が、「ビースト」から「フレンズ」へ変化したタイミングだと思われる。その微妙な変化に「サーバル」は気づいていたように見える)
  • 例のシーン:あの場面は、普通にフェードアウトして切り替えればよかったのかもしれないが、ホテルが崩れたということを示すために、カメラと「アムールトラ」の間にがれきが落ちてくるという表現にしてしまったため、直感的に「トラが埋もれた」という解釈につながったと思われる。あれだけの身体能力があれば、崩れた瞬間に自力で脱出できたと考えたいところ。
    *「原作」のトラは泳げないわけではないので、海を泳いで自力で岸までたどり着くことができた可能性も考えられる。
    *それはないと信じたいが、もし制作サイド側に「奴は悪いことをしてきたのだから、最後は埋もれてしまっても仕方ない」というミスリードを誘う意図があったのだとしたら、それは残念なことである。

ただ、上記のようなシナリオがないと、「かばん」と「キュルル」が乗った船に「ビースト」が現れ、ホテルへ移動するまでの間にヒトへ襲いかからない件の説明がつかないと思います。

【イエイヌ】
この世界の「イエイヌ」が、イラストが描かれた時代の「イエイヌ」と同一世代だったかどうか、について。第十一話の「行ってしまった」発言から、同一世代の可能性をうかがわせる一方、手紙の中に紛れたイラストを見つけたときの「ん?」からは、別世代の可能性をうかがわせられます。

ただし、第九話のときに深く考察した内容以上のものを第十二話から感じることができなかったので、そういう点では第十二話終了時点において、救われていない登場キャラクタといえるのかもしれません。

【フウチョウ】
いきなりですが、「フウチョウ」コンビは実在しない「フレンズ」であると考えます。
水中にも普通に登場するのがおかしい、とかそういう理由ではなく、おそらくは「キュルル」が自問自答している様子を可視化するために描かれた架空の存在なのだろうと思うのです。

【世代代わり】
「アリツカゲラ」は旅館業を営みながら、不動産業も行なっていた(別メディア展開内容の導入?)。
また、前作のアニメーション作品で「原作」に戻ったはずの「アードウルフ」が、「フレンズ」となって登場していた。
それらは、今回のアニメーション作品で登場した「サーバル」と前作の「サーバル」が世代違いであることを暗に示していたのではないかと思います。
ただし、そこが視聴者に伝わりにくかったために、違和感を覚える人が多く出たような気もします。

【さいごに】
近年は、映像やセリフ等で明示されたものしか認識できない視聴者が増えているように見えるため、「表現の裏に隠された意図」を考察することができなかったり、自分にとって都合のいいように場面を切り取り批判したりすることが少なくないように思います。

そういう方々に本所のメッセージは心に届かないかもしれませんが、そのような方々が、感情論で話をするのではなく、客観的に「これはどうだったのか?」ということを考える機会に触れることがあればいいな、と思います。その結果、考え方が当初のものと変わらないのであれば、それはその人なりの結論として確立しますし、その考え方が他人と違ってもよいのではないかと思うのです。