永遠のともだちとは?

タイトルは、2014年3月15日に公開開始となったアニメーション映画から。以下に記載する内容も、その映画に関する内容となります。
(一部で、いわゆるネタばれとなる部分もあるかと思いますので、これから鑑賞されようとしている方はご注意ください)


他のウェブサイトやウェブログ等において視聴感想や鑑賞後の感想が掲載されている場合、しばしば主題や結論を断定するような記載を見かけます。しかし、本所では断定を避けて、あくまで自分自身が感じた内容を記載するようにしています。もちろん、それが制作サイドの意図と一致しない場合もあると思われますが、答えは一つではないと考えますので、あらかじめご承知おきください。

硬い話はここまでにして、本題に移ります。

この映画で出てくる「バク」は、哺乳類奇蹄目に属する動物「バク」ではなく、中国から日本に伝わった架空の生物「獏」を指すと解釈すべきでしょう(引き続き硬い話ですみません)。
悪夢を払う生物とされている獏が、結果として子どもたちの将来の希望も払いのけてしまっていた。子どもにとって楽しく、長く続いてほしいゆめの時間も、続けさせられてしまった子どもの親から見れば悪夢。自分の子どもにいいゆめを見させてあげるために周囲が見えなくなると、そのようなことに気づけなくなってしまう。そこが、ポイントの一つになっていると思われます。

で、「夢は誰かに叶えてもらうものではなく、自分の力で叶えるもの」も大事なところ。ゆめの中でとどまっていては、夢を叶えることができない。一番わかりやすいのは、夢原先生。先生になること自体はゆめだが、そこへ至るまでのプロセスを経て先生になり、生徒に伝えたいことを伝えるのは夢。どんなに苦労しても、起床すると忘れてしまうのが「ゆめ」、不断の努力を心がければ、起きても消えないのが「夢」であると考えると、わかりやすいかもしれません(本所では意図的に使い分けています)。
最初に「無理だ」と思ってしまったら、そこで希望は止まってしまいます。「どこまでいけるかはわからないが、やれるところまでやってみよう、自分のやれることをしよう」ということは、このシリーズの映画で繰り返し使われている主題ではありますが、今回も継承されているように見えますので、ブレがないなと感じています。

夢を叶えるための努力は必要です。しかし、一人では限界があるでしょう。そんなときに心の支えとなるのが、友だち。「あいつがやれたのだから、自分もがんばれば……」と思えるようになったり、迷っている自分が大きな一歩を踏み出すきっかけとなったりするのが、友だち。心の支えとなるのだから、必ずしも自分のそばに(実体が)いる必要はありません。「離れていても、心がつながっていれば……」ということも、最近のシリーズでよく使われる主題の一つ。

継承といえば、あゆみさんにエングレ。自分たちが努力して、過去の自分よりもっといい自分になった経験をきちんと振り返り、まだ過去の自分で立ち止まっている友だちの背中を後押しするという「継承」が見られました。

友だち、夢、希望。これらの連鎖と継承が、永遠のともだちを構成していくのだと思います。